何が変わったか

Preferred Networks(PFN)は 2026年8月17日に Matlantis PFP v9 を公開しました(出典: https://tech.preferred.jp/ja/blog/introducing-matlantis-pfp-v9/)。公式ページに書かれている数字だけを並べます。3行にすると、こうなります。

  • これは文章を書くAIではありません。原子どうしにはたらく力を予測して、材料のふるまいを計算で出すAIです。公式は「機械学習原子間ポテンシャル(MLIP)」と呼んでいます(出典: 同上)。
  • 実験値に近づけるための計算モードで扱える元素が、70種類から96種類に増えました。水素(H)からキュリウム(Cm)までです(出典: 同上)。
  • 公開ベンチマーク MLIP Arena の総合ランキングで、MACE-MPA というモデルと同率1位になったと公式は説明しています(出典: 同上)。

先に断っておきます。この記事は運営者がこれを試した記録ではありません。公式ページに書かれていることを読んで整理したものです。「速かった」「正確だった」といった使用感は一切書いていません。

このサイトの読者(プログラムを書かない会社員)から見ると、材料シミュレーションは遠い話に見えると思います。それでも取り上げたのは、「公開ベンチマークで総合1位」と書かれた発表を、何を確かめてから信じるかという点で、文章を書くAIの比較とまったく同じ構図が出てくるからです。同じ話は Gemini 3.7 Flash の記事 でも扱いました。

「総合1位」が何を指しているか

MLIP Arena は、Chiang らが提案した公開のベンチマークです(出典: 同上)。公式の説明によれば、エネルギーや力の予測誤差といった従来の指標にとどまらず、実際のシミュレーション条件でモデルが物理的に妥当なふるまいを再現できるかを見るものだとされています(出典: 同上)。種目は5つで、PFN は次の5つで比べたと書いています(出典: 同上)。

  • 二原子分子(diatomics)
  • 状態方程式(eos_bulk)
  • エネルギーと体積(wbm_ev)
  • 安定性(stability)
  • 燃焼(combustion)

1つ補足しておきます。この評価に使われたのは PFP v9 の PBE モードです。他のモデルと条件をそろえるためだと公式は説明しています(出典: 同上)。冒頭に出てきた「実験値に近づけるための計算モード(r2SCAN)」とは別のモードなので、元素が96種類に増えた話と、このランキングの話は、別々のモードの話です。

発表ページの表1をそのまま写すと、こうなります。

モデル 総合順位 合計点 二原子分子 状態方程式 エネルギーと体積 安定性 燃焼
PFP v9 1 12 1 1 5 1 4
MACE-MPA 1 12 2 2 2 4 2
MatterSim 3 19 4 5 4 3 3
MACE-MP(M) 4 24 3 4 10 6 1
CHGNet 5 29 8 6 3 6 6
ORB v2 6 33 6 9 8 2 8
SevenNet 7 35 9 7 9 5 5
M3GNet 8 36 5 8 7 8 8

出典: すべて https://tech.preferred.jp/ja/blog/introducing-matlantis-pfp-v9/(表1・総合ランキング)

MLIP Arena の総合ランキングを示した横棒グラフ。棒は5種目の順位を足した合計点で、短いほど上位。PFP v9 が12点、MACE-MPA も12点で同率1位。以下 MatterSim が19点、MACE-MP(M) が24点、CHGNet が29点、ORB v2 が33点、SevenNet が35点、M3GNet が36点。PFP v9 以外の値は2026年3月1日時点の公開リーダーボードにもとづくと発表ページに書かれている。
合計点は5種目の順位を足したもの。短いほど上位です

合計点は5種目の順位を足したものなので、「1位」は5種目すべてで勝ったという意味ではありません。実際、種目ごとに見ると次のようになります。

MLIP Arena の5種目それぞれの順位を、PFP v9 と MACE-MPA で並べた表。二原子分子のなめらかさは PFP v9 が1位、MACE-MPA が2位。状態方程式も PFP v9 が1位、MACE-MPA が2位。エネルギーと体積は PFP v9 が5位、MACE-MPA が2位。高温・圧縮での安定性は PFP v9 が1位、MACE-MPA が4位。水素の燃焼は PFP v9 が4位、MACE-MPA が2位。合計点はどちらも12点で同率1位だが、点の取り方はまったく違う。
同じ12点でも、点の取り方はまったく違います

PFP v9 は5種目のうち3種目で1位、残る2種目は5位と4位です(出典: 同上)。相手の MACE-MPA は1位が1つもない代わりに、5種目すべてで2位か4位に収まっています。合計点が同じでも、得意と不得意の出方は正反対です。

PFN はこの点を自分で説明していて、「PFP v9 が5つのタスクのうち3つで1位を獲得している」ため、どのモデルと1対1で比べても過半数の種目で上回る、と書いています(出典: 同上)。実際に MACE-MPA との1対1の比較では、合計点が PFP v9 の7点に対して MACE-MPA が8点だったとしています(出典: 同上・表2)。

この表を読むときに確かめたこと

PFP v9 以外の値は、2026年3月1日時点の公開リーダーボードにもとづくと発表ページ自身が書いています(出典: 同上)。つまりこの表は、同じ日に全モデルを測り直したものではありません。発表は8月17日なので、他社の値は5か月以上前のものです。

もう1つ。同じ表に「eSEN achieved 1st place in wbm_ev」という注記が付いていますが、その eSEN は表に載っていません(出典: 同上)。エネルギーと体積の種目で実際に1位だったモデルは、この表の外にいるということです。

公開リーダーボードそのもの(https://huggingface.co/spaces/atomind/mlip-arena)は、この記事を書いた環境からは中身を読み取れませんでした。動的に描かれるページで、ページのHTMLにモデル名も点数も入っていないためです。したがって、この記事で確かめられたのは「PFN がそう書いている」ところまでです。

前のモデル(v8)との違い

実験値に近づける r2SCAN 計算モードで扱える元素の数を比べた横棒グラフ。PFP v8 が70種類、PFP v9 が96種類で、水素(H)からキュリウム(Cm)まで。増えたのはランタノイドとアクチノイドの系列。また学習データには表面構造・吸着構造・クラスター・金属錯体が新しく入っており、触媒・電池材料・合金・多孔性材料で頻繁に出てくる形だと発表ページは説明している。
増えたのは元素の数と、学習データに入れた構造の種類です

公式が挙げている v8 からの変更は3つです(出典: https://tech.preferred.jp/ja/blog/introducing-matlantis-pfp-v9/)。

1つめ。実験値に近づけるための計算モード(r2SCAN)で扱える元素が 70 から 96 に増えました。ランタノイドとアクチノイドの系列が新しく入り、水素(H)からキュリウム(Cm)までをカバーするとしています。

2つめ。学習データに、表面構造・吸着構造・クラスター・金属錯体が入りました。公式は、触媒・電池材料・合金・多孔性材料といった分野で頻繁に出てくる形だと説明しています。

3つめ。v8 との比較で改善したのは3項目です。分子のベンチマーク(GMTKN55)・融点・表面エネルギーで改善が見られ、生成エネルギーと状態図は同等の性能を維持した、と書かれています。

ただし、この3項目がどれだけ改善したのかという数字は、発表ページには1つも書かれていません(出典: 同上)。「改善が見られる」という記述だけです。この記事では推測で埋めません。

参考として、1つ前の v8 については論文(プレプリント)が出ています。そこには、DFT では計算が現実的でない長時間の分子動力学シミュレーションで、融点を平均およそ 130K の誤差で予測し、PBE で学習したモデルに対して誤差を半分にしたと書かれています(出典: https://arxiv.org/abs/2603.11063)。これは v8 の数字であって、v9 の数字ではありません。

他社のモデルとの比較

水素が燃える反応での誤差

MLIP Arena の燃焼の種目とは別に、PFN はもう1つのベンチマークを足しています。MACE-MPA の論文にもとづく 19本の水素燃焼の素反応について、予測した反応熱と実験値のずれ(RMSE)を測ったものです(出典: https://tech.preferred.jp/ja/blog/matlantis-pfp-v9-mlip-arena/)。

何を測ったか RMSE(kcal/mol・小さいほど正確)
PFP v9(r2SCAN モード) 3.10
PFP v9(PBE モード) 7.88
MACE-MPA-0 11.15

出典: すべて https://tech.preferred.jp/ja/blog/matlantis-pfp-v9-mlip-arena/

水素が燃える19本の素反応について、予測した反応熱と実験値のずれを比べた横棒グラフ。単位は kcal/mol で、短いほど正確。PFP v9 の r2SCAN モードが3.10、PFP v9 の PBE モードが7.88、MACE-MPA-0 が11.15。この数え方は走らせるたびに結果が変わらないと発表ページが説明しており、実験値は比較相手 MACE-MPA の論文の図から読み取ったものだと同じページに書かれている。
この確認だけは、走らせるたびに結果が変わらないとされています

このベンチマークを足した理由も書かれています。燃焼のシミュレーションは走らせるたびに結果が変わるので、順位そのものがぶれるというものです(出典: 同上)。実際 PFN は燃焼の種目を5回走らせて平均を報告しており、5回のうち一番よかった回では順位がもっと上になり、総合順位にも影響しうるものだったと書いています(出典: 同上)。

いっぽう水素燃焼の19本の反応を測るやり方は、モンテカルロサンプリングも乱数による初期化も含まないため、ソフトと設定を固定すれば完全に決定的だと説明されています(出典: 同上)。

ここで、確かめていて1つ気になったことがあります。同じ段落に「r2SCAN は PBE に対して誤差を56%低減」と書かれていますが、同じ段落の 3.10 と 7.88 から計算すると約61%になります(出典: 同上)。どちらが正しいのかは書かれていないので、この記事では両方を並べておきます。なお「PBE モードでも MACE-MPA を約29%上回っている」という記述のほうは、11.15 と 7.88 から計算した値と合っています。

安定性の種目で相手が上回っているところ

高温と圧縮の条件でシミュレーションが破綻しないかを見る種目では、AUC という指標が使われています(出典: https://tech.preferred.jp/ja/blog/matlantis-pfp-v9-mlip-arena/)。PFN 自身が、相手のほうが上回っている箇所を書いています。

加熱時の AUC 圧縮時の AUC
PFP v9 0.981 (全モデル中で最高と記載)
ORB v2 0.985 0.772

出典: すべて https://tech.preferred.jp/ja/blog/matlantis-pfp-v9-mlip-arena/

加熱の条件だけ見れば ORB v2 のほうが上です(0.985 対 0.981)。ただし圧縮の条件では 0.772 まで落ちる、というのが PFN の説明です。片方の条件だけを取り出せば順位は入れ替わります。

値段は確かめられませんでした

PFP は Matlantis というサービスを通じて提供されているものです(出典: https://tech.preferred.jp/ja/blog/introducing-matlantis-pfp-v9/)。ただし料金は、この記事を書いた環境から製品サイトに到達できなかったため確かめられていません。二次情報の数字を写すことはしないので、値段はこの記事には書きません。

文章を書くAIのように「100万トークンあたり何ドル」という形で並べられる相手もいません。比較相手として名前が挙がっているモデル(MACE-MPA・MatterSim・CHGNet・ORB v2 など)は研究者が公開しているもので、課金の単位がそもそも違います。単位の違うものを1つの表に混ぜると壊れるので、この記事では並べていません。

どういう人に効くか

中身が近い人

  • 材料や化学のシミュレーションを仕事にしていて、実験の前に候補をふるいにかけたい人。公式は、DFT(従来の計算手法)では現実的でない規模の計算ができると説明しています。
  • ランタノイドやアクチノイドを含む材料を扱う人。r2SCAN モードで扱える元素が 70 から 96 に増えたのは、この世代の変更点です。
  • 触媒・電池材料・合金・多孔性材料を扱う人。学習データに表面構造や吸着構造が入ったと公式は説明しています。

中身は遠いが、読み方だけ持って帰れる人

この発表の読み方は、文章を書くAIの比較にそのまま使えます。確かめたのは次の3つです。

  1. 「総合1位」の合計点が、何をどう足したものか。ここでは5種目の順位の足し算で、2種目は4位と5位でした。
  2. 表に並んでいる他社の値が、いつ時点のものか。ここでは5か月以上前の公開リーダーボードの値でした。
  3. 表に載っていないモデルがいないか。ここでは1種目の実際の1位(eSEN)が表の外にいました。

この3つは、どれも発表ページ自身に書いてあることです。推測も、他社への問い合わせも要りません。読む側が最後まで読むかどうかだけの違いです。

この記事で分からないこと

実際に使ったときの体感、計算にかかる時間、料金。v8 から v9 で融点や表面エネルギーがどれだけ改善したのかという数字も、発表ページには書かれていません。運営者も試していないので書けません。

出典一覧

すべて一次情報です。まとめ記事・ニュースサイト・個人ブログは1件も使っていません。

  1. PFP v9 の発表(Preferred Networks 公式技術ブログ・2026年8月17日): https://tech.preferred.jp/ja/blog/introducing-matlantis-pfp-v9/
  2. PFP v9 のベンチマーク評価・詳細版(同・同日): https://tech.preferred.jp/ja/blog/matlantis-pfp-v9-mlip-arena/
  3. PFP v8 の論文プレプリント(arXiv・2026年3月): https://arxiv.org/abs/2603.11063
  4. MLIP Arena の公開リーダーボード(Hugging Face): https://huggingface.co/spaces/atomind/mlip-arena (動的に描かれるページで、この記事を書いた環境からは中身を読み取れませんでした)

Matlantis の製品サイトには、この記事を書いた環境から到達できませんでした。そのため料金は書いていません。

仕様と料金は変わります。導入を検討する前に、必ず提供元の公式ページで現在の内容を確認してください。